仕事でもスポーツでも良習慣でも囲碁でも、
その「感覚を得る」ことができるかどうかが
「できる・できない」の境目だと思うようになっています。
「気づくこと」のさらに一歩先といったところでしょうか。
♦ 頭で知って、試して体で知って
近頃、起床時間を一定にして体の調子を確認中です。
体に合わせて寝てもそう健康にもならなかったので(苦笑)、
またリズムを変えて様子見です。
健康のPDCAを回しているというと
ちょっとカッコよさげですかね。(笑)
体の調子を整えるにも
思うだけではなかなかできません。
みなさんもそうかと思いますが、いろんな要素がありますから、
運動すれば良いのがわかっていても全然できなかったり、
早起きしたくとも早く寝れなくて全然できなかったり、
3食栄養を考えて摂取したくても食べ過ぎちゃったり食事自体を抜いてしまったり。
知識として仕入れたものを
頭で思い出しながらやるのはなかなか続きません。
ただ、できる人というのは必ずいるのも事実。
最近それはやっぱり、“当たり前の感覚”が違んだと思っています。
♦ 自分の感覚を入れ替えていく
ブログだって、毎日質も高く書いている人も少なからずいます。
仕事も、端から見たら24時間働いているようにしか見えない人も、
それなりにいます(ここではあくまで好きで働いているという意味です)。
逆に働かないように見えてしっかり稼いでいる人もいます。
それらの人が最初からできていたのなら、
そもそも持っている当たり前の感覚が
その状況に適切なものだったのでしょう。
では、そうでなかった場合は?
痩せたいと願いながらも運動習慣もなく、
ポテチやドーナツが毎日のおやつに欠かせないという感覚を持っていたら、
やはり何かを変えないといけなさそうですよね。(笑)
やり方はそれこそダイエットなら多くあると思いますが、
最初は5分歩くとか、物理的に買ってしまうコンビニなどに行かないなど、
無理をしすぎない制約を作りながら、
やはり意識して変えてくのではないでしょうか。
それでも意識し続けているうちは、まだ当たり前とは言い難いです。
もちろん、意識することは始まりにとても大切だと思いますが、
それらのことが当たり前にならない限り、
意識することにエネルギーを使い続けていられなくなります。
意識は言葉です。頭で知ることです。
それだけではやはり人間には足りないなと。
頭だけでなく、体も知って、それが自然に実行できるようになる、
その「感覚を得る」ことが“当たり前に変わる瞬間”なのではないかと
近頃思ったことです。
スポーツはよりその体験がしやすそうですが、
日常の行動を伴うことには全て当てはまると思うのです。
「気づき」は無意識だったのが意識ができた状態で
実行ができるとは限らず、
まだ「感覚を得る」ほどはわかってはいないカンジ。
♦ 「身をもって知る」しか、わからない
体で知る感覚の大切さを書きながら
言葉のスゴさを感じずにはいられません。
この「身をもって知る」の言葉の深さに一人で震えてます。(笑)
もちろん、いくら頑張ってもできないことは多くあります。
(私がどんなに努力しても100mを10秒で走れるようになることはないです。笑)
ただ、やればどうにかなることも人間には多くあると思うからこそ、
頭で知るだけでなく、体から知ることの方が行動が変わるのではないかと。
だって体が知っていれば動きますから。
まあ、言い方はなんでもいいと私は思うのです。
自分から出てきた言葉なら。
そう思い、ブログに残しておきたくてのエントリーでした。
今日も来てくれてありがとうございます^^
それではまた!
*** 今日の雑談 ***
以前までブログにはフリー素材の写真を使っていましたが、
ふと、撮りたまった自分の写真を使えばいいかと過去の写真を引っぱり中。
コンデジ購入熱がさらに高まっています。(笑)