片付けのことで、ちょいちょい聞かれることがあったので、
現時点で思うところをまとめたいと思います。
「佐藤可士和の超整理術」という本もありますし、
思いおこせば片付けの下手なデザイナーはあまりいません。
(でもコピーライターさんは片付け下手が少なくないカンジです。笑)
それでも、まあ、
このエントリーはあくまで私個人の片付け論として残します。(笑)
♦ 暮らす場所はキレイな方が安まる・休まる
この言葉、とても印象に残っているのですが、
子どもの頃に祖父(母方)から言われたことがあります。
祖父は東日本橋で着物の帯の問屋を経営しておりまして
(もう亡くなりましたが大正生まれの商売人でした)、
幼い頃に京都へ丁稚にも行ったりしていたらしく、
そのせいか祖父の家は掃除がとても行き届いていて
いつもキレイでした。
いつもキレイなのは祖父が掃除していたのです。
(おばあちゃんの出番ナシ。笑)
和装ものを扱う商売で床や畳が汚れているのは
そもそも商売のあり方としてありえないというのもあったと思います。
それでも、いつもキレイにしているのは
「仕事で疲れて帰ってきたとき、
キレイにしていた方がちゃんと休めるから」と
何気なしに話していたのを覚えています。
今思えば、キレイ好きが当たり前になったのは
この考え方が大きいような気がしています。
でも母はそれを受け継がずに
私の実家はとっちらかっていましたけど。(笑)
♦ 私の片付け方法
収納本や片付け本は、
昔に本屋で立ち読み程度しか読んだことがないのですが、
たぶん似たようなことをしていると思います。
細かいことは面倒なので
1アクションで片付けられるように仕組むのです。
その方が使う時も便利だし。
せいぜい多くて
『①開けて、②置くだけ』くらいにしておかないと、
片付けなくなります。
そのためにはものの場所を決めた方がいいですし、
扱う頻度に応じた場所にする必要もあります。
使う頻度が多いアイテムに
行程の多い手順を踏むのは面倒すぎますでしょ。(笑)
もしかしたらデザイナーの場合、
アイテムの見立てや片付けないですむ見せる置き方がうまいかも。。。
ものを生活に入れる基準も厳しいかもしれません。
便利そうなものはほとんどの場合は便利じゃないし、
たとえ便利になっても、好みでなければ生活に取り入れません。
そうはいっても割り切ったものがない訳ではありませんが
(それなりにいっぱいあります、ダサいフライパンとか・笑)、
基準のないものが自分の生活圏で目につくのが耐えられないのです。
もちろん、いただいたものにそんなことは考えません。(笑)
そういう話ではないです、念のため^^;
あと、何かしら使ったら片付けまでが行動の一環と思っています。
< 使う → しまう(片付ける) >
「しまう」は「終う」です。
「遠足は家に着くまでが遠足」と同じですし、
茶道でもしまうまでがお点前の基本の流れです。
要は行動を片付けから始めるのが好きではないのです。(笑)
× < しまう(片付ける) → 使う >
いつも片付けで終わらせておけば、
いつもキレイでいられるのではないでしょうか。
そのために片付け行程の簡素化は必要になりますし、
ものの場所を決めないとうまくいかないし、
ものが多すぎると場所をつくることもできません。
方法の原則って、なんでもそう変わらないものですが、
原則にそった自分にあう方法を見つけるのが大変なんですよね^^;
・・・エイプリルフールのネタじゃないですよ!(笑)
今日も来てくれてありがとうございます^^
それではまた!
*** 今日の雑談 ***
昨晩は久々に囲碁を打ちました。
久しぶり過ぎてやや不安でしたが(笑)、
楽しめて良かったです^^