昨日のブログにも書いてますが、
私がインダストリアルデザイナーの山中さんに特に興味を持ったのは、
義足に美しさというデザインアプローチをした
プロジェクトを知ったのがきっかけでした。
♦ 生きることと贅沢
実際にデザインがより活かされる場の多くは
〈生死を分ける場〉に今その場では関与できません。
4年前の東日本大震災では、
多くのデザイナーがその職域の無力感に苛まれました。
(あの時は特にデザイナーだけがどうのというレベルではありませんでしたが、
自分にできることを行動したデザイナーさんももちろんいらっしゃいます。)
ただ、多くの経験をもとに問題がわかり、
それらを回避するための設計や準備はデザインにできることです。
デザインで全てを解決できるとまでいうのは解釈次第とはいえ、
私個人としては傲慢ではないかと考えているので、
できないこともあるとしたスタンスの方が正直だと思っています。
♦ 生きるための美しさは贅沢?
実際、『デザインされたもの・こと』は決して安いものにはなりません。
あり方が最適化されたもの(問題が解決された状態)は
きっと価格帯だけでみたらお高めのものになるでしょう。
でも、大変な時や苦しい時にこそ、
潤いとしての贅沢・美しさは生活に豊かさをもたらします。
高いものを買おうとか、そういうことではありません。
また、『美しい』というと、
見た目のみによっているように感じられるかもしれませんが、
こうしようと思った想いの発露、意思があるかどうかです。
それは一輪の花であったり、
おいしいスイーツだったり、
1枚の絵だったり、大好きな音楽だったり。
自分好みの装いや、マメに掃除をすることかもしれない。
人が豊かに生きようとしたときに、
どうしようかと考え、生活にうまく取り入れようとするのなら、
それが『デザインの始まり』なのです。
それらを贅沢と呼ぶなら、
贅沢をしましょう!といいたいです。(笑)
今日も来てくれてありがとうございます^^
それではまた!
*** 今日の雑談 ***
都心では桜が満開になってきました。
私としては夜桜だけでなく、朝桜も昼桜も楽しみたいです。(笑)