昨年2014年11月22日から始めた
『毎日1ページ、自分の手で文章を書くこと(=心象風景文章化)』ですが、
習慣化の目安<3日・3週間・3ヶ月>の大台、3ヶ月近く続けましたので、
改めて総括をしたいと思います。
*3週間の総括はこちら → 『内省』と『情報発信』
♦ 活用する道具というよりも、好きになった“言葉”
過去にいくつかのエントリーにも書いたのですが、
長らく毎日更新ブログを続けた上での非公開手書き日記であることと、
元々が手で書く行為自体に苦を感じないタチなので、
毎日1ページ(A5サイズ)に自分の手で文章を書き続けることは
習慣としてはすぐ馴染むことができました。
例えば『早起き』に比べて1日24時間の中でいつ書いてもいいのは
習慣化レベルとしては、実際に難易度は低い方です。
(早起きは習慣として取り入れるのにはレベルが高いと思います。
1日の内、たった一度の“朝”しか実行のチャンスがないから。笑)
言いたいことをうまくいいたいというよりも、
思ったことや感じたことを適切に言葉にのせているのかいるかどうか、
以前ならできなくても「取りあえずいいや」で流していたものが
流せなくなりました。
良い悪いではなく、そうなったのをふまえ、
これは好きになったのだと自分で認定。(笑)
適当にできなくなった分、面倒に思うこともありますが、
言葉に対して感度がより良くなったと感じています。
♦ “言語化”という言葉の概念が変わった
先週末にご縁がありまして、
京都でデザイン関係のトークショーへ伺いました。
そのお話が「わかりやすい」というよりも、
現状から概念を抽出した上で新しい組み合わせの言葉を作り出し、
それがピタリとハマり、今までと違う世界が見えてくるようでした。
「言葉の限界が自分の限界」との言葉もありますが、
例え使うのは昔から皆が知っている簡単な言葉であったとしても、
使い方一つで全く違う世界を描き出すことができるのは
それは正に語った方の実力です。
そのトークショーを聞いて、改めて“言語化”の概念が変わりました。
以前にブログで言語化について書いたことがあります。
→ 描く言葉
それはあくまで、感じたことや体験したことを
後から言葉に残すことを言語化だと考えていました。
体験から、感覚と比べ多少取りこぼしがあったとしても、
知識・記録・経験として言葉に残すことが言語化である、
つまり、“言葉付け”をうまくするのが言語化だと思っていたのです。
全く違いました。
言語化とはその逆なのです。
♦ “言葉”で世界を作り出している
今ない世界を言葉(&数字)を使って、
“今から世界にあるもの”にしていくことが言語化でした。
言葉は過去に向かうことは何一つなく、
人間が過去に戻れない限り、全て今から未来に向かうのです。
現状のあることや行為を言葉にしていくのが言語化なのではなく、
今からの定義づけを意識無意識に関わらず行うのが言語化なのだと
やっとわかりました。。。
そりゃ意識的にポジティブにしといた方がいいワケです。
今と未来へ向けての世界をわざわざ自分で暗くさせる必要はありません。
(現実は思い通りにならないのだから特に。)
だから過去は解釈によって変えられるのです。
未来に向けて。
もちろん言葉が存在する前から世界はあったと思いますが、
太陽は「太陽」という言葉があって初めて
人間にとって共通の「太陽」になるのです。
太陽などはその存在は言葉でなくとも認識できるものですが、
見えないもの、例えば神様やお化けがそうであるように
(それこそいろんなタイプがありますけどね、、、、)、
言葉というタグ付けをしないとそれは人の中で存在ができないのもあります。
現状を言葉に直すことではなく、
今までの世界に“ないもの”を言葉にすることで
今からの世界に“あるもの”として作り出すこと、
この世の実在へと“なる”ことが真の意味での言語化だったと、
その感覚に差しかかれたのが
『毎日1ページ、自分の手で文章を書くこと(=心象風景文章化)』の
3ヶ月間の成果でしょうか。
・・・もっと早くこの感覚に至りたかったのが正直なところですけど(汗)、
人の人生にはそれぞれのタイミングがあり、
そのズレこそが人の感覚の多様性を生み、
人類の豊かな文化形成に活かされると考えています。
人生に遅すぎることも早すぎることもない、と締めくくりたいと思います。
(負惜しみじゃないよ!笑)
それではまた!
*** 今日の雑談 ***
個人的にちょっと寒さに負け越し気味な2月なのですが(^^;)、
最近は朝が明けるのが早く、日が暮れるのも遅くなってきました。
春は着実に近づいていますね♪