ブログや日記を書き始めてから、
ふとした拍子に「あっこれが私の大事にしたいことだ」と気付き、
それを言葉にできる瞬間があります。
バラバラだった粒子が結合して結晶化するようなカンジです。
正直、私はまだ毎日そうなる境地に達していないんですが、
この瞬間を迎えた時が、一番書き続けていて良かったと思えます。
書くと小っ恥ずかしいんですが(汗)、
今まで「美しい」ってどういうことなのかってずっと考えていました。
アート、デザイン、ファッション、音楽、詩や小説、ビジネスモデルや人の生き様まで、
カタチや事象に至るまで、何を感じて私は「美しい」って思うんだろうかと。
人の基準ではなく、私の決める基準が何であるのかです。
例えば、健康的なのは美しいことですが、
では病気だったら美しくいられないのか?とか、
それは違うなあと思ってみたり。
化粧や着飾ることだけが美しいを作るわけでもないし、とか。
金持ちであることや貧乏であることも
美しさにとっては必要条件ではないなーとか。
なんでも美しくなきゃいけないのか?とか。
なんで「美しい」にこだわるのと問われても困っちゃうんですけどね。(苦笑)
でも、とうとう基準を一つ見つけました。
私にとっての“美しさ”とは「意志が宿っていること」です。
それはカタチのあるものから、カタチのない事象に至るまで、
そこに人の「こうしよう・こうありたい」という
意志が込められ反映されているのが見えた時、「美しい」と感じるのです。
その意志は強ければ強いほどモノゴトに反映されます。
いいデザインには間違いなく作った人の意志が宿っています。
人のこうしたいという意志のある生き様が見えた時、
美しく思ったりします(好き嫌いはともかく)。
美しくあろうとすることは、
とてもクリエイティブな行為だと思い至りました。
定義の大枠はできても、まだ自分でも充分に咀嚼できていませんが、汗
基準ができたことにより、それを軸に過ごすことができるんですよね。
より自分基準を言葉を使って明確にしていきたいと思います。
最後に、自然が美しいのは
神さまの意志が宿っているからじゃないかなって思います。笑
それでは今日はこの辺で!また明日☆
*** 今日の雑談 ***
雪は大きな道路では無くなりつつありますが、
まだまだ日陰では残っていますよね。
昨日、そんな自宅のアパートの階段の雪かきをした自分を絶賛褒めちぎり中です。(笑)
■昨日の『1日1新』
・Hさんご紹介の「ごでんや」さんに行く。日本酒、旨〜♪
・スカイツリーを根元から見上げる。
※詳しくは→「1日1新」