あけましておめでとうございます。
2017年も引続きよろしくお願いいたします。
さて、
さっきまでテレビを見たんですけど(笑)、
『芸能人格付けチェック!』。
芸能人が2択(問題によっては3択)で
料理や音楽、美術などの値段やレベルが高い方を選び
間違えるごとに格が下げられるという番組です。
■ “それだけ”では判断はつかないもの
クイズが料理の場合では目隠しをした状態で
人からスプーン1口のみを食べて選びます。
そもそも料理は嗅覚・視覚だけでなく
そのお店で食べているんだと言う情報や
受けるサービスも含んで
“食を楽しむ”ものですから、
味覚だけでの判断は見ている以上に
難しいだろうというのは想像できます。
それは料理だけに限らず
音楽なら聴覚のみ、
美術なら視覚のみで正しい価値判断を下すには
価値基準は何に置かれるのかを知らなければ、
当たったとしてもまぐれでしかありません。
■ 何が価値を決めるのか
人間の感覚のいい加減さを
わかりやすく見せてくれる番組だったので
考えさせられました。
他の番組になりますが、
アートでどちらが1億円かみたいなのを見たときには
どっちかな?というレベルではなく、
見た瞬間にわかるくらいハッキリわかりました。
スゴイだろとかそういうことではなく、
単に職業柄そういったものを判断できる価値基準が
自分の中で形成されていたからでしょう。
ではそれらはどうやって形成されていったのでしょうか。
また、そういうのは応用が効くものなのでしょうか。
■ 感覚だけに頼らない基準値を持つ
『芸能人格付けチェック!』でタレントのGACKTさんが
個人連勝記録を持っているようだったのですが
(でも連勝中ゆえにプレッシャーは大きいみたいですね)、
彼はどういうところに価値が置かれるのかの
自分なりの基準値をその番組で見る限りですが、
明確に持たれているようでした。
勘だけでもなく、知識だけでもない、
言語化した意識的な基準値をです。
知識を得ながら自ら体験し、
どういうことかを常に考えて
基準値を自らの中に蓄積してきたと思われます。
自分の仕事では
無意識にやっているんだと思いますが(そう思いたい・笑)、
全てに対してできているかと言えば
至らないことばかりです・・・
番組は大いに楽しみましたが、
「わかるとは何か」と
「自分の基準を持つとはどういうことか」を
考えるきっかけとなりました。
最後までお読みいただきありがとうございました!
それではまた☆
*** 今日の雑談 ***
夕方(番組の前)にDVD『スティーブ・ジョブズ』(2013年の方)を観て、
ダブルでモノを作ることはどういうことかを考えさせられる組み合わせとなり、
いい元旦です。(笑)