今日も東京エンブレムネタからのデザインネタを続けます。
どうしてこうなったというのは
様々な人がいろんな立場で分析・発言・発信をするでしょうし、
もうすでに多くの方が語っています。
その上で、現在の私なりの視点でブログに残しておこうと思います。
ですので、個人的な見解のため、
事実と異なる場合も当然あります。
それでも、今の私にはそう見えているし、感じていることです。
♦ 広告・デザイン業界の体質的な古さは否定できない
わかりやすく言い切れば
肌感覚ですけど相撲協会なカンジです。(笑)
引き合いに出してますが
相撲のことも相撲協会のこともわかってません。
でも、このわからないけど
そんなカンジじゃないかと感じる感覚は
内と外の乖離という意味で
一般的な感覚に近いだろうとの判断で「相撲協会なカンジ」としました。
エンブレムデザイン審査委員代表に64年の東京オリンピックにも絡んだ
86歳の大巨匠が出てきていますからね。
この騒ぎで倒れないか、やや心配です。
(さすがにご高齢ですから人として心配ですよ。。)
♦ 業界的には50年前と同じ体験がしたかった?
前回の東京オリンピックは1964年でほぼ50年前です。
今月の業界紙『ブレーン2015年10月号』で
3ページほどの特集の中に書かれていますが、
オリンピックを日本のデザインの水準を引き上げる機会にすると。
うーん、、、情報出すのが遅い!取り下げちゃったじゃない!(苦笑)
一般的に浸透しているかはわかりませんが、
64年の東京オリンピックはデザイン業界として、
非常に大きな成功体験だったのです。
64年では、戦後の国際的なイベント・東京オリンピックで
デザインの統一を計ろうとジャンルをまたいだ協力がありました。
そしてそこには勝見勝(かつみまさる)氏という、
大会全般のデザイン計画の責任者、統括するリーダーが明確にいたのです。
(名前の字面にインパクトがありますよね。)
勝見氏は組織委員会の中にデザイン室を設け
ジャンルの垣根を越えた一流のデザインチームを組んでいます。
今でいう全体のデザインマネジメント、グランドデザインを
彼が実行していたからこその64年東京オリンピックで
デザイン面での成功があったといえます。
ピクトグラム(代表:トイレマーク)も
64年東京オリンピックの時に世界で初めて開発されたものです。
だから2020東京オリンピックのエンブレムも、
64年東京オリンピックのデザインに熱烈に憧れ、
その時代に影響を受け、まじめに勉強したデザイナーが多く関わるほど
もう一度再現したい、あるいは踏襲したいと思っても仕方ないのかもしれないです。
でも時代は変わりました。
2020東京オリンピック エンブレムは
やはり「デザナーのためのデザイン」になってしまった部分があったと
否定できないと考えています。公募・選考方法も含めて。
それらの意図の説明が9月1日発売の雑誌からですから、
情報公開も遅きに失しています。。
私も最初に2020東京オリンピック エンブレムをみた時は
いいデザインだけどプロ好みだなと思いましたけど(以前ブログにも書いてます)、
ここまで大騒ぎになるとは。。。(怖)
♦ 本当はデザイン後進国だった日本
改めて、2020東京オリンピックに
デザインに反映させるための理念や戦略がないのが
新国立競技場からの、エンブレム白紙撤回で如実に表されているといえます。
ヘタに責任不在な政府に絡ませないで
民間の日本で一番大きな代理店とかに丸投げした方が
全体をまとめるためにグランドデザインを策定したかもしれないです。(苦笑)
「デザイン」という概念はイギリスの産業革命後にできたものですが、
デザイン戦略の分野で先進国になるのはまだまだなようです。。
今回の流れから、そう言われても仕方ありません。
なんたって、やっと『デザイン=図案』ではないことの認知が進んできたくらいですから。
でも、問題が起こったときにこそ、
何が問題なのかを自覚できるのものです。
それではデザイン業界だけでなく、
専門職であるなら同じようにいえることかもしれません。
(相撲協会とか…笑)
まずは自分の場所で、顔を上げて
やれることをやっていくしかないです。
いちデザイナーとして。
今日も来てくれてありがとうございます^^
それではまた!
*** 今日の雑談 ***
佐野さんの結果や、無断使用などのやってしまったことは別問題として、
東京エンブレムで盗作はないと信じてますけどね。
というか信じたい。(苦笑)
また、一人の個人に対しプライバシーまで暴いての制裁を加えるのは
いつも疑問に感じてしまいます。