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「こうあるべき」が指針や哲学になるときと、
成長を押さえる鎖となるのときとがあるなぁと感じ、
ふと思ったことですが、妙に引っかかったので
今思うところをブログに残そうと思います。

 

♦ 世間で見かけるのは基本ウザい「こうあるべき論」

「こうあるべき」はあり方へのこだわりの言葉ともいえます。

根拠がないことなのに思い込みからの決めつけだったり
昔からの慣習で当たり前になっているだけとか、
当事者はとても苦しくなっているのにも関わらず
当たり前と思われ行われていることが
一般的なイメージの「こうあるべき論」かと考えています。

「こうあるべき」でググってみたところ、
『こうあるべきを手放そう』
『こうあるべきにとらわれるとリスクに気づかない』
『こうあるべきと考え、苦しむ』など、
かなりのネガティブワードなのには正直驚きました。

 

♦ でも理想としての「こうあるべき」がない人はいないだろう

どんなことが理想であれ、
それぞれの人が「こうあるべき」という理想を持つのは大切だと考えています。

それが今までの常識とはズレていたとしても
自らの理想的な状況へ変わろうとしたとき、
それこそ支えるのは「本当はこうあるべき」という理想です。

きっとポジティブなイメージの「こうあるべき」は
「自分の考えのある人」「思想を持つ」や「軸のある人」などなど、
呼ばれるのではないでしょうか。

あと個性や本人のキャラにも差がありそうです。(残念ながら)

 

その差はどこにあって、
何が違うのかがまだ消化しきれていません。

 

♦ 高い視点の「こうあるべき」と、狭い視界の「べき論」

プライドとも大きく関わる「こうあるべき」。

自分の行動が縮こまってしまうときは狭い視界の「べき論」が作用していて、
理想に向かって邁進できるのなら高い視点の「こうあるべき」が効いていると、
現時点では思考を整理しています。
(高い視点と狭い視界の定義は現在ふわっとしていますが。。苦笑)

 

一応デザインも「こうあるべき」の理想を持って作ってます。

どんな分野でも仕事って、
基本的には「こうあるべき」がないとやれないのではないでしょうか。
共有しないとてんでバラバラになりますし。

 

いずれにせよ、理想は人に押し付けないのが一番です。(笑)

 

 

今日も来てくれてありがとうございます^^

それではまた!

 

*** 今日の雑談 ***

今日は撮影。スタジオは涼しいので長袖です。
お盆休み進行でスケジュールが少し前倒しになっています。