昨日のブログで、今年の3月に受講した
SIY(Search Inside Yourself)の受講した後も月1で対話を続け、
お互いの気づきや変化などを伝えあっていると書きました。
♦ 同じことを続けることの意義
瞑想でも、
ブログでも、
日記でも、
ランニングでも、
同じ行為を毎日繰り返していると、
自分の変化に気づきます。
それは日々の調子の良し悪しもわかるようになりますが、
なにより長く続けていくと
状態が変わっていることに自分で気づくのです。
運動を始めると痩せる前にむくみが取れてスッキリしてくるような、
特に周りが気づくほどの大きな変化ではなく、
自分だけしか感じることができないような微妙な違いです。
私の場合ですと、
心象風景文章化という『毎日1ページ、自分の手で文章を書くこと』を
半年近く続けていますが、
最近書いている状態が変わってきたんですよね。
1ページ書き上げるのに前より時間がかかっているのです。
理由はわかっていて、
思考をまとめながら書くからなんですけど、
それがどういうことなのかが、少し気になっていました。
その変化が「いいのか、悪いのか」を。
♦ “いい悪い”で考えると、人は不自由になる
で、昨日の対話の時に、変化のことを話しました。
絵も描き続ければ作風は必ず変わります。
続けている以上、変化からは逃れられません。
また、変わらないことがいいことでもありません。
その変化があった時に、
『「いい悪い」を判断しようとすると、人は不自由になる』と
言われたのが強く印象に残りました。
変化は、今その状態にあるだけで
最初から「いい悪い」があるワケではないという
至極単純なことです。
繰り返し行ううちに、今が前と違くなっていたのなら、
それを最初に自分で気づくだけで充分で、
「いいことなのか、悪いことなのか」を常に気にし始めると
逆に大事ではないことにとらわれてしまいます。
さらに変わったことが悪いと思い込むとストレスにもなります。
それらの判断の幅が減ってしまうことが
不自由につながるのかな、と。
なので、違和感でないのなら、
状態の変化はしばらく経過を観察することにします。
「あるがまま」という言葉を改めて思い出しますね。(笑)
今日も来てくれてありがとうございます^^
それではまた!
*** 今日の雑談 ***
そして今日は禅思想満載のお茶のお稽古でした。
昨日の愚痴気分が抜けきれず、
所作に少し“間”がなかったようです。。。(~_~;)
こういう精神状態、全部出るんですよね。。。