昨日のブログからの続きです。
今日も「デザインって何?」というのを
自分なりに見つめ直します。
(くどいですけど^^;)
→ 人は“知覚”しているが、“認知”はしていない。
→ 新しい関係には、新しい“カタチ”がいる。
♦ 言葉もカタチのひとつ
デザインと言葉はとても似ています。
同じDNA(構造)を持ちながらも
それぞれ一つ一つの違う人生を生きる双子のようです。
以前に何度かブログにも書いたことがありますが、
デザインは思想からできていて、思想は言葉から作られます。
つまり、たどる思考のプロセスが同じなのです。
私自身でいうと、ブログや文章などの言葉を書き始めたことによって、
デザインの精度が格段に上がったのを実感しています。
穴を掘るドリルが今まで片手一つだったのが、
両手の二つに増えたような感覚です。
♦ 言葉とデザインは再設定を促すもの
新しい関係が求められているとき、
今までの言葉では新しい関係を言い表すことができません。
結婚したら、新しい関係では〈恋人〉ではなく
〈夫婦〉という言葉に変わるでしょう。
今までの人間の歴史の中で当たり前にあったことなら
すでに関係性の言葉もカタチも存在しています。
ググるとかクラウドとか、新しい行為やサービスにも
新しいカタチとして認知するために、言葉があてがわれます。
その関係の変化に対して、人と共有するために言葉は常に共にあるのです。
新しい“言葉”とは、意味付けを新しくするという意味でもあります。
再定義するとか、タグ付けみたいな。
うまくハマった言葉のカタチは、みんなが共有します。
古典も含め、現代に使われている言葉群はその集大成ともいえます。
だたひとつ、言葉は過去の説明のためではなく、
新たな関係のために変化を促す装置としても機能するんですよね。
「夫婦になろう」と言ったら、
今までそうでなくても、その新しい関係の準備が始まるでしょ。(笑)
まだ言葉になっていない新しい関係から
新しい言葉が生まれてくるし、
だから新しい関係には
それに即したカタチがデザインされる必要がでてくるし、
新しい関係へと促すために、
新しい言葉とカタチをデザインするのです。
今の時代に特に思想からのデザインが必要とされているのは
そういうことからかなと考えています。
それではまた!
*** 今日の雑談 ***
桜がちらほらと咲き始めました。@東京
単純なのでそれだけでウキウキします。(笑)