「好きこそものの上手なれ」とはよく聞く言葉ですが、
いつからか自分にしっくりくる言葉ではなくなっていました。

 

♦ 言葉の核

過去、ブログにも何度か書いてきたという記憶がうっすらありますが、
幼少時代〜20代まではほとんど本を読みませんでした。

後悔しているというよりも当時の私は、
言葉には核があり、その核をもって単語が組み合わされ表現になり
何かしらを伝えようとしていたことがよくわかっていなかったのです。
(書いていて切ないな…)

わからなかったから読まなかったということです。

核と表現の妙の極みである『詩』など
まさに理解不能だったのを覚えています。。。
(現在は過去の私よりはマシになっているはず…汗)

 

♦ 言葉が全てではないけれど、言葉がなくては始まらない

数年前では言葉と距離があったとはいえ、
ブログも書いて、手書きで文章も書き続けたら
さすがに言葉に慣れてきました。

先日もブログ(描く言葉)に自身の言語化について書いていますが、
特に今年に入ってからは
言葉と心がぴたりと沿うようにならないかと意識してきました。

私が存在する前からある言葉の持つニュアンスと、
私が今生きている中で感じたニュアンスを結び直しているような感じです。

やってみると語彙も足りない・思考も浅いことに
改めて打ちのめされます。(泣)

ですが、その行程は言葉での表現の喜びにつながっていますので、
楽しい時でもあります。(どちらかというと興奮するというか…笑)

さらに気づいたのは、この行程そのものが
デザインでどのような見え方にしていくのかの思考回路と
全く同じであるということでした。

 

♦ これは愛?(笑)

そう、ここまできて“言葉”が好きになっていることに気づきました。

道具として、手段として言葉を扱うのではなく、
自分の想いに沿わせるものとして愛おしくなってきました。
(まだ愛しているとは言えないけど。苦笑)

ブログにも何度か書いていますが、
私の後輩がボスに聞いた、
「どうやったら仕事はできるようになりますか?」との問いに
「仕事を愛すんだよ」と答えていたことを思い出します。
好きより深く

 

ハッキリ言えば面倒です。

ブログ書く時間もほぼ倍になっていますから。。。
(内容こんなでもですよ。。凹)

でも、これでいいやと流せなくなったら、
それはもう“愛”かもしれません。(苦笑)

好きになることで感度が変わったことの実感はありますが、
まだまだな部分も実感しています。

欲を言えば、人様が見ても
『面白い・楽しい・なんかためになる時もある』ものにしていきたいのですが、、。

先がとても長く感じますが、
これこそ時間使って地味に地道にやっていこうと思います。

 

それではまた!

 

*** 今日の雑談 ***

昨日は人生初のランレース10km完走しました♪
チョコランなので、給水所ならぬ給チョコ所でチョコを食べながらのラン。
仲間と走るのが初めてだったのですが、風が冷たいものの天気も良く楽しめ、
ゆるランが楽しいことを知りました。(笑)
お仲間に感謝です。一人だったらきっとムリ(^^;)