「デザイン」の言葉がとても流行っているように感じています。

 

♦ バブル時代も流行っていた?

バブル時代のデザインを見ていると、
建築、プロダクト、グラフィックなどなど、
「デザイン」というものが
とてももてはやされた時代でした。

機能性よりも芸術性のあるものをデザインと呼んだ時代?

個人的な想像に過ぎませんが、
実際にお金もあったので、デザインの善し悪しよりも
高い方がいいみたいな風潮もあったかもしれません。

 

♦ その後、不景気になって

「高くていいもの」ではなく、
「安くていいもの」が求められるようになりました。

さらには「とにかく安いもの」がいいものとなりました。

そうすると、デザインは見えない付加価値ですので、
モノではない分、業界的になかなか厳しい時代(今もですかね。苦笑)となりました。

「100円には100円のデザインがある」と
インタビューで答えていたデザイナーの方もいらっしゃいましたが、
(でも決して100円でデザインはしていません。笑)
不景気だからといって、デザインが必要なくなるワケではありません。

 

♦ 実はいつも流行っている?

現在は「デザイン思考」といわれるように、
デザインは表層的な部分を担うワケではないことが
知られるようになりました。

でも、それはこの業界内から見ているからそう感じるのであって、
世間一般的には、表層的な差別化(色だけを変えるなど)のためにあると
思われているように感じています。

何のためにそうするのかが、
見えているものが目の前にあると、
カタチに捉われてしまい、その奥にある構造がやすいんですよね。
見えるものがあるから。

まだまだデザイン(デザイナー)を活かしきれていないように思います。

 

♦♦♦ まとめ ♦♦♦

求められるカタチは多少違っても、
デザインが必要とされるのはいつの時代でも同じです。

いえ、知識産業がより重要になっていくこれからの時代の方が、
思考とカタチの連動したデザインが求められる時代になっていくのではないでしょうか。

ただ、残念ながら日本社会はデザインの力を
認めているとは言いがたい状況だと思います。

自分もチカラを付けないといけないと改めて思いつつ、
どう考えていけばデザインを活かせることになるのか、
少しでも言語化していきたいと思います。

 

それでは今日はこの辺で!また明日

 

*** 今日の雑談 ***

昨晩の雷雨はスゴかったですね@東京
もう雨というと熱帯地域みたいな豪雨が定番化しつつあります。。