良いものも悪いものも
自分が知覚しないと、本当に理解することは難しいです。
♦ 知識としての本
有難いですよね、集合知としての書籍が豊富にある世界に生きられるのは。
自分一人だけで本に書かれていること全部を経験しようなんて思っていたら
何千年の命が必要になるのかわかりません。(笑)
某有名クリエイティブディレクターの方は、
「本は歴史物しか読まない」と断言していましたが
(ただし、すでに1,000冊以上は読んだ上での発言かと思われます)、
確かに限りある時間の中で、人間が全てを知ることは不可能です。
♦ それでも、たくさん見て知るしかない
茶道をたしなんでン年になりますが、
この世界では「目利き」だけではなく、
目利き以上の目利きを「目明き(めあき)」と言います。
「目利き」は、お道具などの良し悪しの判別ができるというニュアンスですが、
「目明き」は、あらゆるものから美を新たに発見する力のことを言います。
※「見立て」は「目利き」がないとできない行為です。
見立て:本来茶の湯の道具でなかった品々を茶の湯の道具として「見立て」て、
茶の湯の世界に取り込む工夫すること。
<表千家『茶の湯 こころと美』より引用>
“道”と言われるだけあって、
ここは終わりのない深い世界が広がっています。。
それでも、モノがどういったもののかを
1個や2個知るだけでは到底わからないことだけは
おわかりいただけるかと思います。
♦ 作るなら自らやらないとわからない
茶道具を作る人は、やはり茶道をたしなみます。
人は、どんなに知識を豊富に蓄えても、
その世界に入らなければ本当に理解できないことの方が多いからだと思います。
もちろん、外にいるからこそ見える違った側面があることは否定しませんが、
作る側の人間は外から見ているだけでは作れないと考えています。
♦♦♦ まとめ ♦♦♦
枠にハマりましょうと言いたいのではなく、
たくさん見て、たくさん自分で感じて、良いも悪いも自分で基準を作らないと、
自分がいいと思えるものを作るのは難しいな、と。
あと、レベルには階層があり、さらに暗黙知に近い一定のルールもあるので、
それを理解するには知るしかないと改めて思っています。
まとめが漠然としたままですが(汗)、
今日はこの辺で!また明日☆
*** 今日の雑談 ***
また、一日の中での起床時間や食事・日課などのルーティン時間を見直し中。
大変更というよりも、順番を変えたり
ほんのちょっと時間をずらす程度なんですけどね(^〜^*)
こういった、たまの改訂が自分にとっての最適化を見つけるコツだと思っています。